ガンサバイバーオバサンの、ハレの日ケの日、ときどき白文鳥だより*** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** 大徳寺塔頭 龍光院の土塀(2010.5月) / 平安神宮 泰平閣(2014.4月) 京都で撮影
6月に親族が沖縄で挙式された知人から
ちんすこうを頂いた。
何種類もの中から、3種類のちんすこうを選ばせてもらった。
プレーン、ごま、ココナッツ味にした。
お尋ね!。 以前にも「沖縄」の話がありましたが、親戚!友人さんで 沖縄にお見えなのかな?。と言いますのは、私、1975年(昭和50年)の(1月6日~2月1日)まで、「海洋博」の仕事で滞在してました。まだ、車が右側通行で、とても運転できなくて、乗せてもらっていましたが 怖かったです。北は「辺戸岬」から、南は「糸満」まで 走り回っていました。当時のメモを見ると、滞在したホテルは、名護「ホテル東和」、那覇「ホテル和泉」、石垣島「カドヤ旅館」です。 で!名古屋南区、富田林と続きましたので、3度目が有るかな?と思いまして。^^笑!
koutokuさん、沖縄での武勇伝がおありなんですね。以前の記事で沖縄の話が出たのは、夫の親戚が沖縄在住なのでその縁で沖縄旅行が実現したのでした。今回のちんすこうの主は親戚ではなくて、その人の娘さんが沖縄で挙式されたのです。話は別になりますが、夫の同級生は1975年頃「海洋博」の建設作業員として働いていました。koutouさんとは何処かでニアミスがあったかもしれませんね。
koutoku翁の活躍されていた時代のお話、興味深いですね。ちんすこうって名前がインパクト大ですよね。
akibabaさん、koutoku翁様は沖縄でも電気系統のお仕事に関わっていらっしゃったのかな。「ちんすこう」は初めて聞いた時「え!?」となりました。
そうなんです、何を隠そう 私、天下の「N〇T」で、無線関係の仕事をしていました。^^笑!で「沖縄復帰」初の 大イベント「海洋博」で、本土との「TV中継無線回線」が突貫工事で作られたのです。今の様な「光回線」や「衛星回線」の時代では無くて、「マイクロ回線」です。「辺土岬」にあった「多野無線中継所」で本土から受信して、沖縄本島を縦断して「本部半島」の海洋博会場までのマイクロ回線作成でした。当時の日本国政府は、復帰した沖縄に国をあげての投資をしてました。我ら応援者も、予算(必要経費)は青天井で、湯水のように使いました。「ホテル」から 毎日「タクシー」通勤で タクシーは個人営業タクシーです。もう、私と友二人の専属の「タクシー」見たいなもんでしたね。😁当時の我がメモにありますが、那覇個人タクシー 66号車「糸洲正智」さんと書かれています。元気でおられるかな~?。もう、今だから時効なので、明かしますが、会社の「タクシーチケット」で、休日に観光して、運転手さんの分も昼食代やらを「チケット」支払いしましたよ!。早い話が、運転手さんが現金前払いして、タクシー代を含め その分を「チケット」で 色を付けて割増しで支払っていましたね。 今思えば 阿漕な事をしてました。😁兎に角、戦後の沖縄復帰、復興は 日本国の一大事でしたからね。その甘い汁を ちょびっと吸った 能天気爺さん!です。😎
koutokuさん、青年時代のkoutokuさんの貴重な沖縄体験談をお聞かせくださいまして、ありがとうございました。私の身の回りで海洋博に関わった者はあまりいなかったと思います。沖縄の本土復帰にはたくさんのドラマがあったのですね。公には言えないこのようなkoutokuさんの裏話が面白いですよね。
ちんすこうのおかげで大変面白いお話が聞けて、ありがとうございました。
akibabaさん、ちんすこうがきっかけでこのような展開になるとは私も意外でした。koutokuさんとはブログを通じて過去にいろいろな繋がりがあったことが分かり、改めてブログの面白さを実感しています。
その時の(おみやげ)の「シーサー」一対が、玄関にあります。何時か、ブログの「テンプレート」に載せます。(笑)で 第2弾、「富士山頂」で(10日間)仕事をした「武勇伝」もありますからね~!。^^笑!その時、富士山頂までは、1歩も歩かずに登頂したと言う「摩訶不思議」な話もあります。「ヘリコプター」では無いですからね。 ご想像を!、こうご期待。^^笑!
koutokuさん、「シーサー」のテンプレートを楽しみにしています!富士山頂での武勇伝、興味津々ですよ。歩かず、飛ばず、なんですね。お籠に揺られて?或いは誰かにおぶってもらったのかしら。それともタクシーで??
「タクシー」が近いですね~!。 30代の(40数年前)の頃で、一人千円 払いましたからね。😁
koutokuさん、摩訶不思議な富士登山の武勇伝を期待していますよ。ワクワクするような予告編ですね。
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12 件のコメント:
お尋ね!。
以前にも「沖縄」の話がありましたが、親戚!友人さんで 沖縄にお見えなのかな?。
と言いますのは、
私、1975年(昭和50年)の(1月6日~2月1日)まで、「海洋博」の仕事で滞在してました。
まだ、車が右側通行で、とても運転できなくて、乗せてもらっていましたが 怖かったです。
北は「辺戸岬」から、南は「糸満」まで 走り回っていました。
当時のメモを見ると、
滞在したホテルは、名護「ホテル東和」、那覇「ホテル和泉」、石垣島「カドヤ旅館」です。
で!名古屋南区、富田林と続きましたので、3度目が有るかな?と思いまして。^^笑!
koutokuさん、
沖縄での武勇伝がおありなんですね。
以前の記事で沖縄の話が出たのは、夫の親戚が沖縄在住なので
その縁で沖縄旅行が実現したのでした。
今回のちんすこうの主は親戚ではなくて、その人の娘さんが沖縄で
挙式されたのです。
話は別になりますが、
夫の同級生は1975年頃「海洋博」の建設作業員として働いていました。
koutouさんとは何処かでニアミスがあったかもしれませんね。
koutoku翁の活躍されていた時代のお話、興味深いですね。
ちんすこうって名前がインパクト大ですよね。
akibabaさん、
koutoku翁様は沖縄でも電気系統のお仕事に
関わっていらっしゃったのかな。
「ちんすこう」は初めて聞いた時「え!?」となりました。
そうなんです、何を隠そう 私、天下の「N〇T」で、無線関係の仕事をしていました。^^笑!
で「沖縄復帰」初の 大イベント「海洋博」で、
本土との「TV中継無線回線」が突貫工事で作られたのです。
今の様な「光回線」や「衛星回線」の時代では無くて、「マイクロ回線」です。
「辺土岬」にあった「多野無線中継所」で本土から受信して、
沖縄本島を縦断して「本部半島」の海洋博会場までのマイクロ回線作成でした。
当時の日本国政府は、復帰した沖縄に国をあげての投資をしてました。
我ら応援者も、予算(必要経費)は青天井で、湯水のように使いました。
「ホテル」から 毎日「タクシー」通勤で タクシーは個人営業タクシーです。
もう、私と友二人の専属の「タクシー」見たいなもんでしたね。😁
当時の我がメモにありますが、
那覇個人タクシー 66号車「糸洲正智」さんと書かれています。
元気でおられるかな~?。
もう、今だから時効なので、明かしますが、
会社の「タクシーチケット」で、休日に観光して、運転手さんの分も昼食代やらを「チケット」支払いしましたよ!。
早い話が、運転手さんが現金前払いして、タクシー代を含め その分を
「チケット」で 色を付けて割増しで支払っていましたね。 今思えば 阿漕な事をしてました。😁
兎に角、戦後の沖縄復帰、復興は 日本国の一大事でしたからね。
その甘い汁を ちょびっと吸った 能天気爺さん!です。😎
koutokuさん、
青年時代のkoutokuさんの貴重な沖縄体験談をお聞かせくださいまして、
ありがとうございました。
私の身の回りで海洋博に関わった者はあまり
いなかったと思います。
沖縄の本土復帰にはたくさんのドラマがあった
のですね。
公には言えないこのようなkoutokuさんの裏話が
面白いですよね。
ちんすこうのおかげで大変面白いお話が聞けて、ありがとうございました。
akibabaさん、
ちんすこうがきっかけでこのような展開に
なるとは私も意外でした。
koutokuさんとはブログを通じて過去にいろいろな
繋がりがあったことが分かり、改めてブログの面白さ
を実感しています。
その時の(おみやげ)の「シーサー」一対が、玄関にあります。
何時か、ブログの「テンプレート」に載せます。(笑)
で 第2弾、
「富士山頂」で(10日間)仕事をした「武勇伝」もありますからね~!。^^笑!
その時、富士山頂までは、
1歩も歩かずに登頂したと言う「摩訶不思議」な話もあります。
「ヘリコプター」では無いですからね。 ご想像を!、こうご期待。^^笑!
koutokuさん、
「シーサー」のテンプレートを楽しみにしています!
富士山頂での武勇伝、興味津々ですよ。
歩かず、飛ばず、なんですね。
お籠に揺られて?
或いは誰かにおぶってもらったのかしら。
それともタクシーで??
「タクシー」が近いですね~!。
30代の(40数年前)の頃で、一人千円 払いましたからね。😁
koutokuさん、
摩訶不思議な富士登山の武勇伝を期待していますよ。
ワクワクするような予告編ですね。
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